ACぷよ通至上主義

5月 20, 2020

かつてぷよ界はAC(アーケード版)ぷよ通至上主義が蔓延していて、今でもその残党が一定の発言力を持っている…などと言われているか言われていないかはアレですが、とにかくACぷよ通至上主義という言葉を聞いたり感じたりしたことがある人も多いと思います。「ACぷよ通以外、認めん!」とかいうやつですね。

その半分は、事実です。どのようにしてACぷよ通至上主義という雰囲気が生まれたのか、その歴史を紐解いていきたいと思います。

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1980年代

まだぷよぷよも無かった1980年代。この時代のAC(アーケードゲーム)がゲーム界でどういう位置付けだったのかをまず見ていきたいと思います。

そもそもアーケードという言葉は、商店街などを丸ごと覆う屋根状の建築物のことです。当時のゲームセンターは商店街に多く存在していたことから、ゲームセンター専用機のゲームのことをアーケードゲーム(AC)と呼ぶようになりました。

ファミコンのような家庭用ゲーム機と違い、専用の筐体、専用のコントローラー(レバー)、そして専用のゲーム基板を使います。それらは全て、家庭用ゲーム機よりもはるかに性能が高く、高価なものでした。

AC筐体
ACレバー

また、家庭で子供たちが遊ぶためのファミコンと違って、AC版は売上の回転率が命。そのためAC版のゲームはどれも、とても難易度が高く設定されていました。早くゲームオーバーになっていただき、早く100円玉を投入してほしいわけですね。

このようにACは、ゲーム機としての性能が高く、難易度も高かったので、ファミコンに比べてかなり上級者向けであるという位置付けになっていました。

1プレイするたびに100円(ゲーセンによっては50円)が必要なため、無駄に多くのプレイを重ねることはできません。事前に策を練り、十分な予習を行ったうえで100円を投入し、ACという本番に挑むわけです。

その本番で高度なプレイを達成できれば、見ず知らずの人達から拍手喝采。数人の友達の間だけではなく、その町内の全ての人から認められることになります。「町内で一番」というのは「友達の間で一番」よりも単純に母数が大きいので、そのレベルも自然と高くなるわけですね。

そしてもう一つ、これはACの負の面なのですが、当時のゲーセンにはいわゆる不良がまだまだ居ました。

不良

ゲーム自体が高レベルなだけでなく、不良がわらわら居るようなゲーセンに行くという行為自体が高レベルでした。

不良がたむろするという状態は本当に残念なことだったのですが、とにもかくにも、AC版というのはこういういろいろな要因があって高レベルなものになっていました。

1992年/ストリートファイター2ダッシュ

この前年にストリートファイター2がAC界で大ヒットし、そして1992年、その続編となるストリートファイター2ダッシュが稼動し始めました。

対人対戦という文化を生み出し、乱入対戦形式の対戦台がゲーセンに溢れるようになった原点のゲームです。それまで基本的には1人プレイか、2人プレイであっても交互プレイか協力プレイがほとんどだった時代。そこにスト2ダッシュは颯爽として現れ、「見ず知らずの人と対戦し、勝ったらプレイ継続、負けたら終了」という乱入対戦形式を大流行させました。

「俺のほうが強い、この街で一番強い!」というのを証明したいというプレイヤー側の欲求と、乱入対戦形式によって売上の回転率が爆上げするというゲーセン側の思惑が見事に一致し、一大ブームとなりました。

俺より強い奴に会いに行く

これがスト2のキャッチコピーとなったのは、格闘ゲームとしてのスト2の主人公リュウがゲームの中で強い奴に会いに行くという意味だけではありません。このキャッチコピーの真の意味は、街中の誰もが参加できるゲーセンという場でまだ見ぬ強敵を見つけて対戦し、そして打ち勝っていくという意味があります。

人間の闘争心というのは尽きぬもの。街で一番になったら今度は、「隣町にすげぇ奴が居る」「隣の県に化け物が居る」という噂を聞きつけ、遠征することになります。その規模はやがて全国に広がり、「強い奴」を求めるエネルギーは新幹線代をも超えるほどに増加します。日本の端から端まであるような距離を、ただただ強い奴に会いに行くという目的のためだけに遠征する猛者達が現れてきます。

町内制覇、市内制覇、県制覇、そして全国制覇。そこで行われる対戦のレベルは間違いなく日本一のものになります。

1994年/ぷよぷよ通

AC版ぷよぷよ通もこの流れに乗り、乱入対戦形式が全国各地で流行りました。しかし、大人気だったスト2に比べてぷよぷよはプレイ人口が少なかったので、ある程度の人数が集まって乱入対戦形式が成立するようなゲーセンはあまり多くありませんでした。

小規模・中規模のACぷよ通対戦ゲーセンは各地にいくつかありましたが、聖地と呼ばれたのは東京の明大前ナミキと横浜のセブンアイランド。その2つのゲーセンでの対戦内容は圧倒的で、他を寄せ付けないほどレベルが高いものでした。

当時、メーカーであるコンパイルが大規模な全国大会を何度か開きましたが、そこでの上位者はほとんどがこれらの聖地ゲーセンの常連。いや、あるいは、その全国大会よりも、聖地ゲーセンでの普段の野試合のほうがレベルが高かったかもしれません。

ACと家庭用機の性能差

前述の通り、AC版と家庭用ゲーム機では、グラフィックやサウンドなどに性能差がありました。ACのほうが高価な分、当然性能も高かったわけです。

そんな中でぷよ通は、もともとのAC版がそれほど高度なマシンスペックを必要としていなかったこともあって、家庭用機に完全移植されていました。僕の知る限り、AC版と全く同じ内容になるように完全移植を果たしたゲームは、ぷよぷよの少し前にセガが発売したコラムスが最初で、その次くらいがぷよぷよシリーズだったと思います。

そうなればもうAC版と家庭用機の性能差は無いわけで、性能差という点においてはACにこだわる必要は無かったわけです。それでもまだこの当時はネット対戦というものが無かったので、やはり「俺より強い奴に会いに行く」にはゲーセンに行くしかありませんでした。

1990年代後半以降/完全移植

1990年代後半以降は、家庭用ゲーム機の性能が上がり、AC版の完全移植を果たすゲームが増えてきました。特に2000年のプレステ2以降は、完全移植が当たり前のようになってきました。

性能面だけ見れば、時代は着実に家庭用ゲーム機に移り変わりつつあります。ゲーム界全体で、「AC版とPS版って内容同じだよね」という感覚が当たり前になってきます。

コンパイルの倒産とぷよぷよの停滞

一方のこの当時のぷよぷよは、メーカーのコンパイルが倒産したことにより、新作が出ずにずっと停滞する時期が続きました。コンパイルが動き続けていれば新作による新陳代謝もあったかもしれませんが、ゲームタイトルもメーカー主導の大会もアップデートされず、ACぷよ通のまま、ぷよ界は長く停滞しました。

しかし、停滞していた時期もACぷよ通プレイヤーは技術研鑽を続け、対戦レベルの高さは数年前からは想像も付かなかったような高いレベルに達します。しかもコアなプレイヤーしか生き残っていないので、初心者の参入がほとんど不可能なくらいの高い壁となってしまいました。

これが、ACぷよ通の上位プレイヤーが鋭く尖る少数精鋭集団となった1つの要因であると思います。名実共に、AC版ぷよ通のプレイヤー達が最強の名を欲しいままにしていました。

2004年/ぷよぷよフィーバー(クラシック)

倒産したコンパイルからぷよぷよの権利をセガが引き継ぎ、2003年に新作ぷよぷよフィーバーが発売。そして2004年、Windows版ぷよぷよフィーバーに、ネット対戦機能とクラシックルール(ぷよ通ルール)での対戦が搭載されました。

これは大きな転機となり、新しく参入する初心者や、それまでぷよをやめていた復帰勢が増えてきました。ACぷよ通プレイヤー達ももちろん参戦しますが、やはりまだまだ長年培われたACぷよ通技術のほうが上位。しかし、新幹線に乗って俺より強い奴に会いに行かなくても、ネットで強い奴をいくらでも探せるというこの環境は、徐々にACぷよ通1強の牙城を崩していきます。

~2016年/ぷよぷよクロニクルまで

この時期にセガからぷよぷよ7、15th、20th、ぷよぷよテトリスなどのタイトルが発売されます。

ACぷよ界も依然として上位の地位を保っていましたが、これらのセガ系家庭用機用ぷよの界隈で「あいつACぷよ界よりも強いんじゃねぇの?」という強豪プレイヤーがちらほら現れてきます。

ここでもう一度時代背景を思い起こすと、ACがマシン性能的に上位だった時代はもう終わり、ネット対戦の普及によってゲーセンに足を運ぶ必要も無くなった。さらに動画配信も普及してきて、上位プレイヤーの研究を誰でも手軽にできるようになった。昔のようにビデオテープを人づてに入手するなんて必要は無くなったわけです。

そうなれば自然の流れとして、より強い人が集まりやすく、より多くの研究を重ねることができるプラットフォームに人が集まってきます。ACでは上位だったAC兼家庭用機プレイヤーも、ただただ「AC」という過去の栄光にあぐらをかいているだけでは、たちどころに追い抜かされてしまいます。

しかし決着は付かなかった

ならば統一戦をやればいい、というのは誰しも思うところです。実際そういう機運もあったようですが、なかなか実現しませんでした。

その理由の1つは、セガ系ぷよぷよの微妙な仕様がACぷよ通と違ったというところ。そしてもう1つは、ACはゲームパッドではなくレバーで操作しなければならないというところ。

ぷよぷよというゲームはほんとにシビアなゲームなので、そういう環境の違いによる得手・不得手は、大きく試合内容に影響します。結局、お互い自分の得意なプラットフォームでは勝てるけど、どっちが強いのかは決着が付けられない、という状態に陥ってしまいます。

でも、ぷよらーたるもの、実際に優劣を付けなくても、プレイ内容を見ただけで「あぁ、こりゃぁ負けたな、プラットフォームの得手・不得手を除いたとしても、相手のほうが強い…」というのに気付いてしまうものです、自分が強ければ強いほど。最上位同士では、そういう「認め合う」部分があったかもしれませんね。

2016年/ぷよぷよクロニクル、そしてぷよスポ

eスポーツという言葉が世間を賑わせはじめた2016年に発売されたぷよぷよクロニクルは3DS用でありながら、今までよりも強く「旧ACぷよ通との仕様的統一」を意識して作られた、と僕は見ています。

AC版ぷよ通との仕様の違いは極めて微小なものとなり、AC勢も納得する出来だったと思います。細かいことを言えばどこどこが数フレーム違うとかそういうのがあったかもしれませんが、もはやそこにこだわる必要が無いほど、十分に納得できるものでした。

そして2018年のぷよぷよeスポーツで、仕様的にも文化的にも、ぷよぷよは完全に1つに統一されたと見ていいでしょう。誰もがプレイしている、最強の奴はこのネット上のどこかに居る、ここでのし上がることが最強への道だ…。そう思えるだけの統一環境がついに整ったというわけです。

振り返って、ACぷよ通の立ち位置

整理すると、2004年のぷよぷよフィーバーまでは、ACぷよ通にしか強い人が集まらない状況であったため、必然的にぷよ界全体がACぷよ通至上主義となっていました。ハード性能が良かったことや、ネット対戦や動画配信が無くて、強い人に会うにはゲーセンに行くしかなかったことなどがその理由です。

そこから2016年までは、環境的にはACぷよ通にしか強い人が集まらないという理由は無く、ACぷよ通プレイヤーはわずかな仕様の違いで実力が出せないことを嫌って家庭用機を避けた時期でもあると思います。

そのため「どちらが最強のプラットフォームか」という結論は出せなかったわけですが、決してAC勢は「ACこそ最強」とこだわっていたわけではなく、単に慣れ親しんだACぷよ通をプレイし続けていただけということだったと思います。

その意味で、「ACぷよ通至上主義」というよりは、単に「ACぷよ通好きの上級者がまだたくさん居る」という状態だっただけのことだと思います。

そして2016年以降は、全プレイヤーの悲願だったプラットフォームの統一に向かっていきます。セガがゲーム自体の仕様を細かく詰めていった点、プロプレイヤーの誕生、ネット環境や動画配信環境の進化、そしてゲームセンターという文化を知らない新世代の台頭。

そうなればもはやACぷよ通は、上級者が新しく生まれるような環境ではありません。僕のようなAC版でしかまともにぷよの操作が出来ない古いおじさんが、町の碁会所や草野球を楽しむがごとく、人と触れ合う場所としていつまでも在り続ける文化。もちろん、それはそれとして大切に残り続けてほしいですが。

ACぷよ通至上主義とは

結局ACぷよ通至上主義とは、「ACぷよ通」であることが重要なのではなくて、「最強のプラットフォーム」であることが本質だったわけです。

いろいろな時代背景があったことでたまたまACぷよ通がその座に就く時代が長く続きましたが、今こそ時代はぷよぷよeスポーツであり、これからも長く続く魅力的なプラットフォームとしてぷよぷよeスポーツは存続し続けて欲しいと思います。

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