チーズ牛丼食ってそうなぷよぷよという競技

先日のセガ公式youtube配信でセガ取締役CCO名越氏が、ぷよぷよをプレイするプレイヤーの見た目を指して「チーズ牛丼食ってそうな感じ」とコメントしたことが話題となり、大炎上している。

事の顛末は以下の記事が詳しいので、参照して頂きたい。

セガはただちに謝罪と訂正を行っており、僕個人としては事を大きくするつもりはない。ただ、ぷよぷよという競技が一体何なのかという点について、今回の問題を通じてあらためて考えたいと思う。

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陰の者と陽の者

幼少の頃、誰もが感じていたことがあると思う。

活発で運動神経のいい子は外交的で友達も多く、自分や他人の容姿というものに興味を持つ時期も早かった。一方、内向的で座学を好む子は対人関係が苦手な傾向にあり、人と接するときにポイントとなる要素の1つである容姿というものに関心が薄いケースが多かった。

かくして、「陰の者」と「陽の者」というカテゴライズがなされ、特に顕著な場合はスクールカーストという形で悪影響を及ぼした。いずれにしても、程度の差はあれ、そのような「区分け」が存在していたのは確かな事実だろう。

スクールカースト

ぷよぷよというゲームの特徴

ぷよぷよはまさに「陰の者」が好みそうな要素を多く持っている。

ぷよぷよの入り口には大きく分けて2つあり、その1つはキャラゲーとしてのぷよぷよ、もう1つは頭脳パズルゲームとしてのぷよぷよである。

キャラゲーからぷよぷよに入った人の多くはアニメファンであり、つまり「陰の者」としての要素を持っている場合が多い。

頭脳パズルゲームとしてぷよぷよを始めた人も、子供の頃から体ではなく頭のほうをよく使ってきた子が多数を占めている。同じゲームでも格闘ゲームのように暴力的な表現が無いところがまた、「陰の者」に好まれやすい1つのファクターとなっているだろう。

これはあくまで比率の問題だ。陽気で運動神経の良かった子がぷよぷよを好きになることもあるし、内向的な子が黙々とストイックに1つのスポーツに打ち込むこともある。でも、比率として、ぷよぷよが「陰の者」に好まれる要素を多く持つゲームであることは、否定できない事実だろう。

eスポーツ

2015年頃から世間に認知されてきたeスポーツという世界。そのeスポーツ全体で見れば、きらびやかな「陽の者」の世界に寄せていこうとしている雰囲気が感じられる。

eスポーツといっても所詮はビジネス。メディアの目に止まるようにするためには金の力なども使いつつ、いかに魅力的な世界であるかというのをアピールすることはとても重要なことだと思う。

その一方で、明らかに実力の劣るプレイヤーを容姿だけで採用するわけにはいかない。そのあたりのバランスというか舵取りというものは、ただeスポーツを観戦しているだけの我々には想像がつかないほど難しいものなのだろう。

多くのeスポーツのゲームタイトルにおいては、その点ではそこそこうまくいってるように思う。しかしぷよぷよは、eスポーツの中でもある意味「陰の極」にあるもの。なかなか取り扱いが難しい。

陰の極」といっても、それは悪い意味ではない。

他のゲームと違い、唯一ゲームルールが変わらない不変性。一般的には、ゲームというのは新しいタイトルを出し続けることで収益に繋げる。そのほうがゲームメーカーとしてもラクだろうけど、ぷよぷよはその手法を採らない。なぜなら、変わらないものに永久に向き合うことができる奥深さがあるからだ。

僕も20年以上ぷよぷよに関わっているが、「この人を超える人はもう出てこないだろう」という究極のレベルに達したかと思うようなプレイヤーが居ても、翌年には上位プレイヤーの多くがその水準に達し、さらにそこから突出したプレイヤーが現れる…というのを何度も見てきている。

一体このゲームの「神の一手」はどこにあるのか。我々は今、ぷよぷよという巨大な山の何合目に居るのだろうか。それをいつまでもストイックに追い求めることができるゲーム、それがぷよぷよである。自ずと、自己を究極にまで高めようとするストイックな「陰の者」が集まりやすい形になる。

このような性質は他のゲームには無い。だから、商業的な意味でのeスポーツという枠組みで考えると、とても扱い辛いゲームだと思う。2016年以降は、セガはぷよぷよのプレイヤーに寄り添ってくださり、このぷよぷよが持つ特異な性質をできるだけ理解するようにし、他のゲームタイトルとは一線を画したぷよぷよだけの「eスポーツ」という世界観を作るために尽力してくださった。少なくとも、僕はそう見ている。そのことについては、ただただ感謝するばかりである。

藤井聡太はチー牛か

世間がどうであれ、商業的なeスポーツがどうであれ、ぷよぷよはぷよぷよである。そのゲームの性質ゆえに、「陰の者」の比率が多くなるのはある意味自然なことだろう。だから、今回の名越CCOの発言に特別怒りを感じているわけではない。

さて、我々はこのような「ストイックな頭脳パズルゲーム」の例をよく知っている。そう、将棋だ。

将棋の棋士たちをよく見て欲しい。誰も口には出さないが、そのルックスから「陽の者」というオーラはあまり無いだろう。あの輝かしい記録を残した藤井聡太も、「チー牛か否か」と言われれば、チー牛であると答えざるを得ない。

しかし、そんなことは愚問なのである。藤井聡太は藤井聡太であり、素晴らしい天才棋士である。以上。そのほかに何も言うことは無い。将棋には、容姿など問わないという格調と歴史があるからだ。

ぷよぷよもまた、将棋に近い性質を持っている。数百年という将棋の歴史にはかなわないが、商業的なeスポーツという枠組みを超えて唯一、変わらぬルールで究極を目指すという他には代えがたい特徴を持っている。

ぷよぷよがその位置にあることを知っていれば、名越CCOのあの発言は無かったはずだ。あの発言はまさに「藤井聡太は顔が地味」と言ってるのと同じなのであって、そこに何の意味も無いことを名越CCOは知っているべきであった。自社のゲームがどういう位置付けになっているかをわかっていなかったという点にこそ問題があると、僕は言及したい。

「あの発言は悪意があるわけではなく、うまい言い換えが思いつかなかった末に出てしまった言葉」という主張も見られるが、そもそも「言い換えが思いつかない」のが問題なのである。自社のゲームの各タイトルがどんな世界を形成しているのかを知っていれば、適切な言葉はあらかじめ頭の中に用意されていたはずだろう。いや、それを現場担当者ではない取締役レベルに求めるのには無理があるのだろうか?

変わるのはとても良いこと

将棋の話を例に出したので、ついでにもう1つ例を。

動画は、女流棋士の香川愛生のyoutube。サムネイルにあるように全く別人に見えるこの2つの写真は同一人物。

最初は「陰の者」であったとしても、そこから変わっていくのはとても良いことだと思う。ぷよぷよに陰の比率が多いのは性質上仕方がないと書いてきたが、だからと言って「変わらないことが俺のモットー」と偏屈になってしまうのは少し話が違う。

もしぷよぷよの究極を追い求める鍛錬に少し余力があるなら、今よりカッコよく、かわいく、なってみないか。

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