中国の無錫に出張したときの話
2008年頃に、中国の無錫(むしゃく)という都市に出張したことがありました。約2~3週間の滞在が少し間を空けて2回。中国ってこんな国だった、という個人的な感想を書き綴っていきます。
無錫はこんな街
無錫は、中国の大都市上海の空港から高速バスで2時間ほど。日本で言うと大阪-名古屋間くらいでしょうか。そう言うと上海からだいぶ遠いように思うかもしれませんが、広大な中国のスケールで見ると↓こんなもんです。
誰もが知ってる大都市の上海や北京と違って、無錫という地名は日本人にはあまりなじみがありません。でも無錫は、上海からの新幹線的な高速鉄道が止まるほどの大きな都市です。
無錫駅からタクシーで30分ほど走ると、日本企業の工場が密集した工業地区に辿り着きます。それが、中国に出張することになった僕の仕事場。
出張の経緯
僕は当時、日本のとある大企業S社の曾孫請けくらいの立場で、小規模なシステムのソフトウェアを作っていくつか納めてました。そんな折、S社の中国工場で新しいシステムの導入の話があり、それに関するソフトウェアの作成と現地への導入をやってくれないか、という依頼を受けました。
日本の大企業S社のとある1部署は、アメリカの別の大企業Q社からの依頼で、Q社の製品(精密機器)をS社中国工場で作っています。これまでも工場は稼動していたのですが、出荷前の出荷検査はS社工場内でQ社の設備を使って行っていました。
これがいろいろあって出荷検査もS社の設備を使うことになり、新しくその設備を導入するプロジェクトに携わってくれないか、ということになりました。もともとのQ社からは設備の具体的な詳細を教えてもらっているので、同等のものをS社の自社製として作りかえればいいわけです。
それほど生産数の多い製品では無いので、この更新プロジェクトに関わったS社の人は5人ほど。プラス、曾孫請けのぼく。
僕は、出荷検査を行うための専用機器をパソコンから制御し、データをサーバーに送ったりするソフトウェアの一切合切を担当しました。って言ってもアレっすよ、もともとQ社が作っていたソフトウェアをまるごと1から書き直して作るわけで、とんでもない作業量でした。
中国出張前にソフトウェアの事前作成期間があったんですが、全然間に合う量ではなく、結局未完成のまま現地中国へと飛ぶことになりました…。
工場は3交代
僕の仕事内容はさておき、この工場の話をしましょう。
工場は24時間稼動で3交代。我々社員連中(中国人S社社員、日本人S社社員、および業者)は朝の8時半に出勤するんですが、ちょうど夜勤(朝8時終了?)が終わったバイトの子たちが大量に退社する喧騒とすれ違うことになります。
僕たちが担当したプロジェクトの作業場も小さめの体育館1つくらいの大きさだったんですが、工場全体だとそういう作業場がいくつもあります。そこで働くバイトの数も膨大な人数になります。
で、その大量のバイトなんですが、大部分が18歳かそこらの女の子なんですよ。ガテン系の作業じゃないので、若い子にたくさん働いてもらおうという企業のカラーが出てるんですかね。
そこで気付いたことが1つ。そのバイトの女の子たちなんですが、9割以上がポニーテールなんですね。当時のこの年頃の子の流行なのか、化粧っ気のない長い黒髪にポニーテール。うむ、僕は好きですよ、ポニーテール。
僕たちの作業場、つまり出荷検査場も常時15人くらいのバイトの子が居ました。
検査工程は全部で8工程くらいあり、それぞれパソコンと検査装置があって、バイトの子は製品を検査装置にセットしてパソコンから検査開始指示をポチっとな。検査が終わったら製品をワゴンに載せて、適当に工程が滞らないようにワゴン押し係が次の工程のところまで運んでいく。
この8工程全部のパソコンに僕が作ったソフトウェアが入っていて、それをバイトの子に操作してもらうわけです。出張初期の頃はまだ旧Q社製のソフトも入り混じってて、僕は作業場の片隅で未完成のソフトを完成させるべくごりごりプログラミングしてました。最終的には全工程が僕の作ったやつに入れ替わって、めでたしめでたしとなりました。
そんな感じで僕は僕で作業をしてたんですが、たまに休憩したいじゃないですが。そんなときは「散歩」と称して、この検査工程を見回ってるフリをしてました。バイトの子からしたら、僕が何者かなんてわかるわけがない。日本本社から来た偉い社員様なのかな、くらいに思ってたんでしょうね。
この検査工程なんですが、検査開始指示をポチってから完了まで5分くらいかかるんですよ。ボタン押したら5分待つ。終わったら次の製品をセットして、また5分。椅子がちゃんと置いてあるんですが、特に刺激の無い断続的な5分置きの作業、どうなるか想像付きますわな。
要するに、バイトの子が居眠りしてるんですよ。もし作業場の監督に見つかったらめちゃくちゃ怒られるんだろうけど、僕にとっては寝てようが寝てまいが関係ないし、むしろ寝かせてあげたい。あるとき僕が通りかかったときの物音でバイトの子がビクッと目が覚めて驚いていたんですが、いやいや大丈夫、僕は優しい日本本社(の曾孫請け)のおにいさんだから、怒ったりしないよ。ゆっくり休んでね、にこにこ(^_^)
社員食堂
昼ごはんは僕たちも社員食堂で食べることになります。日本本社の社員(とその関連業者の僕)は特別パスなので無料なんですが、中国の社員食堂、果たして何が出てくるのか…。
白米の茶碗とスープ的なもの、それに小皿をいくつか取っていく形式の、よくある社員食堂と同じでした。でも、小皿の中身がよくわからないものが多くて。何かの肉、何かの野菜なんだろうけど、なんだかよくわかりません。
肉モノは、骨も身も関係なく適当な一口サイズにカットして揚げているので、頻繁にデカい骨でゴリッといってしまいます。野菜系も、食える味のときとさすがに無理な味のときとがあります。
そしてこれは中国人の習慣なんでしょうか、みんな大量に食事を残します。小皿を取るだけ取って、ちょっとずつつまんだら、はい、お残し。みんなそんな感じなので、僕たちもあまり罪悪感なくお残しができました。
食器返却口のところには巨大なゴミ箱があり、みんなそこに平気で食べ残しを捨てていきます。僕らはまぁ一応日本人なのでできるだけ残さず食べてましたが、無理なときはゴミ箱にごめんなさいっと。
昼食の時間が終わると、食堂の床がありえないほど汚れます。あからさまに食べ物を床に捨てる人は居ないと思いますが、ボロボロと床に落としても全然平気なのが中国人の気質。掃除係の人が豪快に水を床に撒いて、毎日毎日掃除してました。
こんな感じの中国食の社員食堂ですが、僕たち日本人はまだギリ食べられるんですが、視察に来てたアメリカのQ社の人はどうしても無理だったようで、毎日毎日ピザを頼んで食ってました。太るぞ。そしてついにはピザにも耐え切れなくなって、アメリカに早期帰国してしまいました。さすがに文化が違いすぎるからねぇ。
晩ご飯
仕事が終わると一旦ホテルに帰り、同じ日本からの出張仲間4人くらいで近くの店に食べに行きます。
日本企業が多い工業地区なので、日本食を出してくれる店がめちゃくちゃ多いんですよ。日本食といってもお上品ないわゆる和食じゃなくて、トンカツ定食とかから揚げ定食とかカレーとかラーメンとか、ほんとに僕たちがいつも食べてる日本食です。
それにビール飲み放題が付き、さらに女の子が1人付いて、1400円ほど。1食としては少し高めだけど、この内容なら全然アリですね。
おっと、誤解が無いように言っておきますが、いかがわしい女の子じゃないですよ。ちょっと日本語がしゃべれて、話し相手になってくれる感じのアレです。店は定食屋というか居酒屋というか、そんな感じの構えです。日本で日本食を勉強した料理人が、こういった店を開くわけですね。
1400円といえば現地の人にとってはなかなかの大金。そんな日本人客が毎日来るんだから、そりゃぁ日本食も勉強するし、日本語も勉強するし、女の子が話し相手にもなってくれますよ。おばさんのときも多いですけど。
そのかわり、競争も激しいようです。この出張中にも、いくつかの店が潰れたり新しい店ができたりしてました。なんかゴムみたいな味のラーメンを出す店はやっぱり潰れてましたね。ゴム食べたこと無いけど。
飯店とか酒店
日本でよく見かける、「中華飯店」とかいう中華料理屋。だから「飯店」って料理屋だと思ってたんですが、実は違うんですよ。「飯店」っていうのは(ビジネス)ホテルのこと。「酒店」って言い方をする場合もあります。
僕も「無錫なんとか酒店」みたいな名前のホテルに泊まってました。酒なんて出てこないんですけどね。
1泊4000円ほどだったと思いますが、中国の物価で言うとかなり高級ホテルの部類に入ります。ボーイが荷物運んでくれるし、枕は無駄に5つくらいあるし、なんといっても風呂場がガラス張り。…ガラス張り?
何故なんでしょうねぇ、丸見えじゃないですか。何を見るためにこうなってるんでしょうねぇ。と思ってたところに突然の電話が。「まっさーじ、ドデスカ?」
一体どこをマッサージしてくれるのか興味津々でしたが、ノープリーズとお答えしておきましたよ。もしかしたらガラス張りの風呂場が有効活用できるかもしれないとも思ったんですが、多分気のせいでしょう。
中国語がしゃべれない
実は僕は全く中国語がしゃべれません。せいぜい「ニーハオ」と「シェーシェー」くらいです。中国語には四声というのがあって、同じ発音でもイントネーションが違うと別の意味になるので、カタカナ通りに呼んだだけでは通じないんですよ。
日本企業S社の人で中国常駐の人は中国語がしゃべれるので、イザというときは通訳をしてもらいました。また、現場の中国人の中でも監督クラスの人は少し日本語や英語がしゃべれるので、それでなんとか凌いでました。
また、精密機器の技術的なやり取りは、回路図とか数値を紙に書けば大体通じます。科学の言葉は国境を越えるね。
と言っても僕は曾孫請けなので、現地の人と直接やり取りすることは無いんですけどね。
それでもあるとき、検査工程のバイトの子が何かを僕に言ってきました。漢字なら筆談できるかもしれないということを向こうも知ってたようで、紙にこう書いて渡してきたんです。
電脳死机
でんのうしにづくえ!? なんだそりゃと思ってパソコンを見てみたら、エラーが出て止まってました。電脳=パソコン、そして「机」という字は「つくえ」じゃなくて「機」という字の簡体字なので、要するにパソコンが止まったよ、ってことだったんですね。
ささっと再起動してあげたら「シェーシェー」とお礼を言われましたが、エラー処理をしっかりコーディングしてなかった僕が悪いんです。ごめんね^^;
中国という国
観光という意味で言えば、中国といえば上海だったり北京だったり、紫禁城だったり万里の長城だったりと、そんなイメージです。
政治的に見れば、なんか一党独裁で言論統制な感じのイメージが強いです。
でも、こうやって普通の生活、普通の仕事を見てみると、多少いろいろなクォリティに差はあるものの、同じ人間が生活しているだけなんだなぁと思いました。
特に無錫は日本企業が多くて、ホテルやホテル周りの店が日本人向けになっているので、それほど困ることはありませんでした。まぁ、それでもあんまり行きたいとは思いませんが、いい経験になりました。
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