横柄な態度の工学博士にプロジェクトをかき乱された話
僕は仕事柄、企業の研究開発部門にシステムを納入することがあります。そういうプロジェクトの責任者に博士号を持った人が就くことがあるんですが、あるときのその人がなかなか面倒くさい人物でしてねぇ…。
企業の研究開発
企業の研究開発といっても、社運を賭けた1大プロジェクトのようなものもあれば、数人のチームで小さな研究をするものもあります。大きい企業はいくつもの小さい研究開発チームを持っていて、必ずしもその企業の看板商品の性能向上に貢献するようなものばかりではありません。
プロジェクトチームには予算が与えられ、いろいろな技術研究をします。何かそれなりの研究結果を上に報告すればOKなので、ぶっちゃけ売上を必ずあげなければいけないというわけでもありません。
あるとき僕が下請として携わったのもそんなプロジェクトでした。数人のチームというより、責任者1人だけの1人チームだったかもしれません。というのは、その責任者(仮にNさんとします)しか見たことが無かったからです。もしかしたら雑用係が下に数人居たかもしれませんが。
ざっくりこんな感じです。
- 大企業C社のNさん -- 一般社員だけど工学博士の肩書きを持つ。プロジェクトの責任者
- 元請S社の担当営業Aさん -- 研究に必要な機器や人員を調達する
- 機器下請T社 -- 機器の製造メーカー
- ぼく -- 研究のためのソフトウェアを製作
このプロジェクトはソフトウェア無しの状態からスタートしていて、データ分析用のソフトウェアが必要になった段階で僕が参加したという感じです。元請S社の担当営業Aさんとはもともと付き合いがあって、お互い知った仲です。
で、僕がこのプロジェクトに途中参加したときに名刺交換をしたんですが、Nさんの名刺に「工学博士 Ph.D(Doctor of Philosophy)」と書いてあったので、ほうほう、頭のいい人なんだなぁと。でも、NさんがAさんに対して取る態度がかなり横柄で、平気で「アホ」「バカ」と罵るような人でした。うーん、こりゃぁ面倒くさそうだ…。
研究内容
あまり具体的なことを書くと特定されかねないので、省略したり例え話に置き換えたりして虚実入り混ぜてます。
ある建造物があったとしましょう。
でっかい建造物で、その連結部分も頑丈な鉄骨でできています。でも、日々の振動や劣化などで連結部分の鉄骨が数ミクロン単位で微妙に伸びたりします。極めて微小な変化ですが、これが積み重なると鉄骨に亀裂が入り、一気に全体が崩れてしまいます。
そのようなことが無いように、鉄骨の数ミクロンの微妙な変化を日々計測し、「やばい」という状況になる前に工事をして取り替えたいわけです。じゃぁ一体いつごろ、その「やばい」になるのか。その時期を予測しようというのがこの研究開発の大まかな内容です。
そこで工学博士の知識の出番。なんかよくわからんけど、こういう物理法則があるらしいです。
$$\epsilon_t=\int^{l}_{L_0}\frac{dL}{L}=\ln{\frac{L}{L_0}}=\ln{\frac{L_0+\lambda}{L_0}}=\ln{(1+\epsilon_n)}$$
ふぁーっ、わけわからん~。けど、工学博士のNさんが言うには、これが正しいと。この通りに計算するようにソフトウェアを作ってくれと。僕はこの数式の正しさはわからないけど、この通りにソフトウェアを作ることならできる。そもそも数式の正しさを検証するのは僕の仕事じゃないし、言われたことだけやっとこ。
データを解析する
機器とソフトウェアの準備が終わり、実測データも揃ってきた。さぁ、この理論が正しいかどうか、このシステムが有効なシステムとなり得るかどうか、みんなで検証してみよう。
理論通りなら、データはこのような形になるらしいです。
そして実際の実測データがこちら。
ぐちゃぐちゃやんけwww
とにかく、工学博士Nさんと元請担当営業Aさんと僕で、問題点を洗い出す対策会議がはじまります。
どうしてこうなるんだろう? \(L_0\)の取り方がおかしいのかな? ちゃんと言った通りに発注したのか?
えーと、はい、すみません…
いいか、イプシロンのインなんだよ。ほんとアンタはわかんない人だなぁ、このバカ!
すみません…
ちょっとよろしいでしょうか。この数式の\(\ln({1+\epsilon_n})\)のことをおっしゃってると思いますが、この自然対数、つまりlogarithm naturalの中は\(L_0\)の比ですので、仮にそれが間違っていたとしても、いくらか加法的にオフセットがかかるだけで、データの概形に大きな影響は無いかと思います。やはり、当初から懸念していた通り、計測の精度に問題があるのではないでしょうか。
やれやれだぜ…。
原因ははっきりわかってる。数ミクロンという極めて小さい長さを正確に測るには定規で測るというわけにはいかず、それなりに高度な工業用測定器が必要なわけであって、それを機器下請けT社に発注してたわけなんですね。でも、T社の技術力をもってしても、短い期間と少ない予算ではそれが達成できなかった。
その問題点はかなり早い段階から浮上してたのに、強引に実測と検証を進めた結果、やっぱりぐちゃぐちゃなデータしか収集できなかったというわけ。
でもNさんは、問題点がどこにあるかというより、ただただ担当営業のAさんにマウントを取りたいだけ。Aさんは技術職ではないので、数式のことなんて全くわからない。それをいいことに、「こんなこともわからないのか、バカ!」と罵りまくるわけですね。コイツ、面倒くせぇな…。
僕も工学の専門家じゃないし、ただのプログラマーだから、数式のことなんてわからない。…とでも思ったか? 僕は発注された通りのソフトウェアを製作するだけだからプロジェクト全体の改善策を提案する立場ではないけど、誰の目の前でこんな弱い者いじめをしているか、ワカらせてやる。
大体、「イン」って何やねん。「ln」の「l(小文字のエル)」が「I(大文字のアイ)」に見えたんか? そもそも、理論がわかってりゃぁこの数式中に登場するのは自然対数の「ln」であることくらいわかるだろう? 結局お前、なんもわかってへんやんけ。文献に書いてあった数式の意味も理解せず、読み間違えにも気付かず、ただただ数式を読み上げて非技術職のAさんをバカにして気持ちよくなりたいだけだろう?
それも今日で終わりだ。僕は一介のプログラマーだけど、ああそうそう、言ってなかったね、僕は大学で数学を専攻していたんだよ。工学博士だァ? 聞いて呆れるぜ、この●●がッ!!
…おおっと。さすがにそこまでは言わなかったですけどw とにかく、化けの皮を剥いでやりましたよっと。
無理矢理データを改ざんする
機器下請けT社の頑張りもむなしく、限られた時間と予算の中では、高性能な測定器は完成しなかった。そこで工学博士Nさんが取った行動とは…。
誤差だらけのぐちゃぐちゃなデータでも、その一部を切り取って適当に引き伸ばせば、なんとなく理論上のデータと似たような形になる。よし、これで検証OKということにしよう!
ま、まじかよ…。
それもう、なんでもアリやんけ。仮に、1年間で馬に蹴られて死んだ人の人数をグラフにしても、一部を抜き出して加工すれば、この形になるわ。もう理論とか全く関係ないやん…。
しかもこれ、何が恐ろしいかって、Nさんは大真面目でコレを言ってるんですよ。上に報告するために仕方なく改ざんしてるとかじゃなくて、「こうすれば研究成功。ばんざーい!」っていう頭お花畑状態なんですよ。
そしてソフトウェア下請けの僕に対して、
Aさんと違ってキミはわかる人だねぇ。キミのおかげで理論通りになったよ。あとは、グラフの形を自由に拡大縮小できる機能をソフトウェアに付け加えておいてくれるかな。そのほうが資料を作るのに便利なのでね。
アホか。お前にほめられてもうれしくないわ。しかも、改ざんの手助けをするための機能追加をしろだなんて。
さすがにそれはおかしいだろうってことで、「あなたの言ってることは間違っています。あなたの手法によれば、どんなぐちゃぐちゃなデータでも正解になってしまいます」っていう内容の説明資料を作ったんですが、ウチの社内の上司に却下されました。「もういい、とりあえず言う通りにして、今後Nさんには関わらないようにしよう」という社内決定でした。
論理と科学を信奉する僕にとっては納得のいかない決定でしたが、ビジネスはビジネス。作った説明資料はNさんには渡さず、お蔵入りにしました。
その後。
地元の新聞にNさんの功績が小さく載りました。「建造物の崩壊を事前に予測する研究が成功。危険回避のための大きな前進である。研究チームのリーダーはC社のN博士」とかなんとか。ああ知ってるよ、それ僕が作ったやつだし。そして、ウソにまみれた研究だってこともよーく知ってるよ。
博士や教授の孤独
博士や教授という立場の人は基本的に、自分1人だけがわかっている難しいことを人に教えるという日常を送っています。その内容が正しいかどうかを審査できる人が居ない、閉鎖的な空間で。
もちろん、ほとんどのまともな博士や教授は、常に同業者や同レベルの知識を持った人と常に意見交換を交わし、自分が間違っていないかどうかに気を配っておられると思います。
でも、一部の人付き合いが苦手な博士や教授は、誰からも間違いを指摘されない閉じた世界の中で、永遠に裸の王様で在り続けるのです。孤独であるがゆえに。
環境が彼らをそうしてしまったのか、それとも彼ら自身の人間性にもとから問題があったのか。いずれにしても、自分の間違いを指摘してくれる人の存在というのは大切ですね。
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