ラストエンペラー/映画レビュー

清朝最後の皇帝、愛新覚羅溥儀の生涯を描いた映画、ラストエンペラー。イタリア・中国・イギリス・フランス・アメリカの合作で1987年に制作されたこの映画の名前は、誰しも一度は聞いたことがあると思う。

ラストエンペラーのレビューはすでにごまんと溢れているので、今さら私がレビューすることもないかもしれないが、私の視点で感想を書きたいように書いていきたいと思う。

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清朝最後の皇帝

この映画の主人公は、清朝最後の皇帝、愛新覚羅溥儀。溥儀は、中国の清朝最後の皇帝というだけでなく、長い中国の歴史の最後の皇帝でもある。

中国史上、最初に皇帝を名乗ったのは、紀元前221年に即位した秦の始皇帝、嬴政。

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それから2000年以上の時が過ぎ、1908年に即位した溥儀が中国史上の最後の皇帝となる。

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溥儀は、西太后の指名により、2歳で皇帝に即位した。もちろん2歳で政治ができるわけがないので、父親である醇親王載灃が摂政として実権を握り、先代皇帝の光緒帝の妻である隆裕皇太后らと共に清国を動かした。

しかしそれも長くは続かず、1912年の孫文による辛亥革命がきっかけとなり、溥儀は皇帝の座から退位することとなる。このとき、溥儀は6歳。つまり、物心つく前に何もわからず皇帝となり、そして何もわからず退位したわけである。

その後中国は中華民国となり、清朝は滅亡したわけだが、奇妙なことに、清朝の王宮である紫禁城はそのまま残り、紫禁城の中だけは「清」という国がいまだに続いていた。皇帝とそれに従う大勢の宦官、贅沢の限りを尽くした建物や食事、清の国を象徴する儀式や風習。黄昏に沈んだ国の悲しい茶番である。

溥儀は、紫禁城の中では誰もがかしずく皇帝という存在であるが、城の外では袁世凱だの何だのという人物が大統領として中国を支配しているということも知っていた。しかし溥儀は、城から出ることを許されていない。少年時代の溥儀はいつも、城から出て、外の世界を見たいと思っていた。

そんな折、1924年に勃発した馮玉祥らのクーデターにより、溥儀ら清朝の一族は突然紫禁城からの退去を命じられる。この時、溥儀は18歳。あれほど城から出たいと思っていたのに、突然その時がやってきたかと思えば、荷造りをする満足な時間さえない。こうして、形だけでも保っていた清という国は、ここに完全に滅びた。

溥儀は、もう一度皇帝になりたいと思っていた。紫禁城を追い出されてからは天津などを転々としていたが、やがて日本の軍部、いわゆる関東軍に接触し、日本が実質建国した国である満州国の皇帝として再び即位した。

しかし、満州国の実権は日本の関東軍が握っており、溥儀はその傀儡皇帝に過ぎなかった。なにもできぬまま、1945年の終戦を迎えてしまう。

溥儀は日本への亡命をはかろうとするが、飛行場でソ連軍に捕まってしまい、捕虜となる。1950年までソ連のハバロフスクなどに収監されたのち、中国に身柄が引き渡され、撫順の政治犯収容所で1959年までの9年間を過ごすことになる。

1959年、戦争犯罪人に対する特赦令が出され、溥儀は模範囚として釈放された。その後は一般市民として北京植物園で勤務したり文史資料研究員として活動し、1967年に腎臓がんで亡くなった。2000年続いた中国王朝の最後の皇帝溥儀が死の間際に所望したのは、晩年の好物であった日清食品のチキンラーメンだったという…。

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映画ラストエンペラー

映画ラストエンペラーも、前述の史実にほぼ沿った形で物語が展開される。

しかし、歴史的な事実を重んじるというよりは、溥儀の人生を描いたヒューマンドラマという仕上がりになっている。そのため、多少の史実とは異なる脚色も加わっている。

例えば、映画では皇后の婉容に対する溥儀の愛情が強く描かれているが、史実では全く婉容を愛していなかった。というより、人を愛することができなかった。物心ついたときから皇帝だった溥儀にとって、「人」というものが何なのか、理解できなかったのだろう。

ラストエンペラーはヒューマンドラマなので、歴史的な知識が無くても楽しめるようになっている。むしろ、歴史的な知識が無い状態で観たほうが面白いかもしれない。溥儀という一人の人間がどのように時代の翻弄されていったか、そこに感情移入してこの映画の深さを味わってほしい。

映画の冒頭は、1950年に溥儀が戦犯収容所に移送されるところから始まる。そこで溥儀は「再教育」を受け、自分の人生を振り返り告白することを日課として義務付けられる。その中で、2歳で皇帝に即位したときのことや、10歳~16歳頃のできごと、18歳で紫禁城を退去したときのことやそれ以降のできごとなどを回想する。戦犯収容所での時間軸の中に過去の回想シーンでの時間軸が挿入されることで、物語は進んでいく。

満州国というのは日本の関東軍が作った傀儡国家であるが、その歴史的評価はさまざまである。映画では多少日本が悪く描かれているが、そういうところは脇に置いて、純粋に溥儀という一人の人間の人生をこの映画を通じて体験してほしい。

最初に観た時の感想

ラストエンペラーは1987年に制作されたが、1989年にテレビ朝日の日曜洋画劇場で、3夜連続で地上波で放送された。しかも、3時間39分の「オリジナル全長版」。2時間43分の劇場公開版よりもさらに長い内容となっている。とはいえ、細かい描写に時間を割いているかどうかの違いだけなので、劇場公開版でも十分楽しめる。

現在購入できるBlu-rayでは、オリジナル全長版と劇場公開版の両方が2枚組で収められているので、これを買っておけば問題無いだろう。

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さて、そのテレビ放映当時、私は13歳。歴史的な知識は無く、満州国という国があったことさえ知らなかった。ただ単に、2歳の子供が皇帝になって大勢の大人がその子供にひれ伏すという、その状況が面白いと感じた。何千人ものエキストラを使って本物の紫禁城で撮影された皇帝即位のシーンは、もうそれだけで圧倒的な世界観に引き込まれる。

先ほど、戦犯収容所のシーンの中に回想シーンが挿入されると書いたが、私が中学生でこの映画を見た時は、回想シーンの中によくわからない収容所のシーンが挿入されていると思った。ときおり出てくる収容所でのやり取りはさっぱりわからないし面白くない。もっと、子供が皇帝になってるシーンだけを見たかった。

やがて物語が溥儀の青年期になると、古臭い清朝の雰囲気は消え、映画の雰囲気は近代化された建物や衣服に包まれていく。当時私はそれが退屈で、内容もほとんど頭に入ってこなかった。

あらためて大人になってから観た感想

いつだったか、大人になってからラストエンペラーという映画を見返した。子供の頃に観たときよりも、さらに深くこの映画を、そして溥儀という人間の人生を知ることができた。

物心付いたときから皇帝だというのは、一体どんな感覚なのだろう。全ての人が自分にひざまずくのが当然。食事から着替えから何から、全部誰かがやってくれる。それが当たり前という環境の中で育った人間の喜怒哀楽というのはこういうものなのか、というのがしみじみと伝わってくる。

実際のところ溥儀は、そんな閉鎖的な環境で育ったわりには、驚くほど人間的であったらしい。確かに映画でも、「皇帝然」とした偉大な尊厳と権力の塊というよりは、極めて普通の少年として描かれている。普通ではあるが、何かが欠落しているような側面もある。その繊細な少年時代を見事に描ききっている。

紫禁城を退去してから満州国の皇帝に再び即位し、やがて敗戦を迎えるまで。この溥儀の青年期には、日本という国が大きく関わっている。のちに溥儀が語ったように、日本は溥儀を傀儡皇帝として利用したが、溥儀もまた、日本という国を利用して再び皇帝になろうとした。

皇帝という地位や権力を欲したというよりは、清という国、その故郷である満州という地、そして愛新覚羅の一族に再び栄華をもたらせたかったという溥儀の心情が読み取れる。

戦犯収容所に収容された当初は、溥儀はそれを認めなかった。自分は全て日本に利用されただけの被害者だ、という態度だった。しかし、収容所所長の厳しくも思いやりのある指導によって溥儀は次第に変わっていく。50年以上に渡って何かが欠落していた溥儀の「人生」に、はじめて人間としての普通の感情が生まれていく。

映画は終盤、収容所シーンと回想シーンが交錯する構成を終え、舞台は1959年に溥儀が釈放されるシーンとなる。

二度皇帝となり、捉えられて収容所生活となり、その末についに一般市民となった溥儀。私が大人になってあらためてラストエンペラーという映画を見た時、ここからの話が最も興味深いと感じた。

植物園に勤務し、仕事を終えた溥儀が同僚に「お先に失礼します」と笑顔で挨拶する。同僚も、「おう」という感じで笑顔で答える。なんでもないようなシーンだが、溥儀にとってこの「なんでもない日常」が、一体どれほど幸せに感じただろうか。その笑顔の中にどれほどのものが含まれるのかと思うと、心を震わさずにはいられない。

弟の溥傑と共に市場で野菜を買おうとしていた溥儀は、デモ隊に出くわす。劇中ではこのデモの詳細は語られていないが、中華人民共和国の毛沢東によって動員された紅衛兵という学生運動がこのデモの正体である。が、今はその歴史的考察は脇に置いておこう。

デモの中で、かつての収容所所長が罪人として屈辱的な恰好で歩かされている。それを発見した溥儀はデモ隊に詰め寄る。

「この人は善良な人だ。いい人なんだ。罪を犯したなんて、何かの間違いだ。この人はすばらしい先生なんだよ!」

デモ隊が溥儀に問う。お前は誰だ、と。

そこで溥儀はこう答える。

「庭師です」

私はこのシーンが一番好きだ。子供の頃にラストエンペラーを見た時は子供皇帝とかそういうシーンばっかり面白いと感じたが、今の私はこの「庭師です」という一言がとても重厚に感じる。

18歳まで皇帝として紫禁城に住み、紫禁城を追われてからも清朝の復活を夢見て、28歳で満州国の皇帝に。44歳で戦犯収容所に収容されてからも、しばらくの間は身の回りの世話を同室の使用人にさせていた。そんな溥儀が、この戦犯収容所の所長によって「人間とは何か」というものを教えられ、次第に「皇帝」ではなく「一人の人間」へと生まれ変わっていく。

「庭師です」という自然に口から出た一言は、溥儀が一人の人間になったということをまさに象徴している。想像を絶する半生を生きてきた皇帝が、今まさに一人の人間として生まれ変わった。ラストエンペラーというヒューマンドラマの究極の終着点が、ここに凝縮されている。

関連文献

映画ラストエンペラーは、溥儀自身が書いた自伝「わが半生」がベースになっている。

わが半生 上―「満州国」皇帝の自伝 (筑摩叢書 245)

また、溥儀の家庭教師でもあり友人でもあるイギリス人のレジナルド・ジョンストンが記した著書「紫禁城の黄昏」も興味深い。

完訳紫禁城の黄昏 上

映画の中では、溥儀が18歳で紫禁城を退去する際、紫禁城の中に近代化の一環として作ったテニスコートでテニスをしているときに軍隊がやってきて退去を命じるという描写になっている。しかし実際は馮玉祥のクーデターで状況は混乱しており、溥儀とジョンストンの間で連絡が途絶えていた。その切迫した状況を、この2冊によって2人の視点から見比べることができる。

この2冊はいずれも、紫禁城内部の生活や宦官たちの勢力図などについての話がかなりの割合を占めている。映画に比べるとだいぶ退屈な話かもしれないが、ラストエンペラーを史実の視点から知るための、貴重な文献となるだろう。私ももちろん、両方全て読破している。

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雑記

Posted by 4研DDT