悪の企業に加担する可能性
マヤ暦における終末の日とされる昨日3月20日、周知の通りワニがお亡くなりになりました。心よりご冥福をお祈り申し上げます。
電通案件?
訃報直後、「100日後に死ぬワニ」は電通案件だったという情報が流れました。現在、その噂は否定されているようです。
真偽は今のところ不明ですが、この件を「電通案件だ!許せん!」と言っている人は大きく2種類に分かれるようです。
1つ目は、この漫画が金儲けでしかなかったということへの批判。しかし冷静に考えれば、タダで漫画を描いているわけではないのだから、対価を得て当然のはずです。全話を無料で公開しつつ、しっかりとマネタイズする方法を最初の時点から考えてたとすれば、それは素晴らしい手腕であると賞賛すべきでしょう。
2つ目は、バックがあの電通だったということ(作者は否定されています)。電通といえば、いろいろと過労死などの問題があったあの会社です。そんな会社が絡んでるのは許せん! というのが、批判している人達の言い分です。
しかし、電通というのは大きな会社。その中のトップから末端に至るまで全ての人が、他人を過労死に追いやるような考え方を持っているわけではありません。そもそも(電通案件という噂が仮に本当なら)これはビジネスなのだから、よほどこの案件に直接関わった人が過労死したのでもない限りは、批判されるべきものではないと思います。
ワニは置いといて、一般論として
とりあえず、ワニや電通の話は置いといて、一般論として。
我々は会社員であれフリーランスであれ、日々の仕事を行う上でいろいろな企業と取引をします。中には、相手が胡散臭い企業だったり、悪評が絶えない企業だったりすることもあります。
あるいは、仕事の依頼内容が法に抵触する可能性があったり、倫理に悖る業務だったりすることもあるかもしれません。安全基準値を下回る工事の発注、公文書改ざんのためのシステム構築、近隣住民の猛反対を押し切って強行される建設工事、モラルを著しく欠いた展示会での警備業務、詐欺とおぼしき集団のオフィスへのビル清掃サービス、etc…
それとわかっていながら悪の企業に加担せざるを得ないという状況は、誰の身にも起こりえます。
悪を悪だと糾弾するのは簡単です。責任者はもちろん、関係者全員、悪だ! その件に全く関係無い立場からすれば、少しでも悪に協力した人全てを批判したいという気持ちは、わからないでもありません。
しかし、自分がどれだけ潔白に生きていても、いつ自分が糾弾される側に立たされるかはわかりません。
俺達兵が、本当の悪だ
昔、ある人が言いました。
俺達は規律の中で生きている。命令は絶対だ。それが組織だ。規律により人は生かされ、規律により動く我々が正義を守り国民を守る。俺達は命令を信じる兵だ。…しかし、本来の正義にそぐわない行為も命令されたとあれば、黙って聞くべきなのか? いつの世も、人を殺し苦しめる本当の悪は、悪政をふるう独裁者か? それとも命令を下す権力者か? 違う…。抗う強さもなく、保身に正義を売る、俺達兵が、本当の悪だ。
仕事をしている中で、「これは悪に加担しているかもしれない」と感じたとき、我々はその仕事を拒否できるだけの強さを持っているだろうか。拒否すれば間違いなくクビになったり仕事を失ったりすることがわかっていながら、それを果たして正義のために拒否できるだろうか?
そう言われると答えに詰まるところです。はっきりと法を犯しているようなわかりやすいケースの場合は「今日で会社を辞めさせてもらいますワ」と言い放つこともできるでしょうけど、なんか怪しいけど悪いとも言い切れない…くらいの業務内容だと、自分のクビを賭けてまで潔癖な正義を貫くことは難しいことだと思います。
一族郎党まで責めないように
世を騒がす悪い奴が居たとき、その責任者を批判するのは結構なことだと思います。でも、その末端の関係者を含む一族郎党全てに対して批判の鉄槌を下すのは、少しかわいそうなんじゃないかと思うところもあります。
逆に自分が(意図していなかったとはいえ)悪に加担する末端の1人となってしまった場合は、単純に「仕事だったから仕方が無い」と正義の心にフタをするのではなく、仕方無いのは仕方無いにしても、常に考え、常に自分に問い続ける姿勢が大事なんじゃないでしょうか。
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