100本先取という文化
ぷよぷよの雌雄を決するために、古来より100本先取という長丁場の試合形式が行われてきました。近年は50本先取や30本先取で勝敗を決めるように短縮化されていますが、昔は100本先取こそが本番とされていました。
時代考証を交えながら、100本先取という文化について見ていきます。
2004年5月某日
その日、ぷよの聖地と言われるゲーセン「明大前ナミキ」で2人の男が言い争っていた。1人は、ぷよ界の無敗の絶対王者ミスケン。もう1人は、絶対王者に挑戦する位置にまで登りつめたくまちょむ。
今やらないのであれば、二度とお前の挑戦は受けない。
準備無しでは戦えない。そのような申し出は無効だ。
一体何があったのだろうか。話は約1時間前に遡る…。
今もレジェンドプロとして活躍するくまちょむですが、15年前の時点でも他を大きく引き離して圧倒的な実力を持っていました。しかし絶対王者ミスケンは、そのくまちょむからさらにステージが1つも2つも上の世界をただ1人で独走するぷよ界の怪物。
当時、ぷよの雌雄を決するのは100本先取という暗黙の了解があったんですが、その日はくまちょむが絶対王者ミスケンに30本先取で挑戦するというカードが組まれていました。30本先取であっても誰にも負けた事が無い王者ミスケン。しかし結果は、
くまちょむ30-29ミスケン
100本先取の本番ではないとはいえ、ミスケンに初めて土が付いた瞬間でした。
そこでミスケンの闘志に火がついたのでしょう。あるいは、この最高の戦いをもっと楽しみたいという気持ちがあったのかもしれません。ともかくミスケンは、30-29からの続きとして、そのまま100本先取に移行することを提案しました。
しかしくまちょむは、この日のために、この日の30本先取という決められた本数のために、全ての集中力をそこに注ぎました。30本先取で体力を使い果たすように計算して戦ったというのに、そのまま延長戦というのは不可能。100本先取への移行を拒否するのは当然です。
ミスケンも引き下がりません。「今この場で延長戦をやらないなら、二度と100本先取をすることは無い。」それは逃げとかそういうことではなく、お互いが最高に高揚した今このときを逃してしまえば、二度とお互いにとって最高の試合はできないだろうという気持ちの表れだったのだと思います。
長い交渉の末、くまちょむは延長戦を承諾し、そのまま100本先取へと移行しました。
僕はちょうどミスケンの真後ろに陣取って観戦していたのですが、ミスケンは試合中も後ろのギャラリーに話し掛けるほどリラックスしていました。一方のくまちょむは、鋭利な刃物を全身に纏ったかのような深い集中力の中でのプレイ。
しかしそれは余裕の差とかではなく、リラックスすることで力を引き出すタイプのミスケンと、周りの雑音を全て遮ることで力を引き出すタイプのくまちょむ、すなわち陰と陽。お互いが最も力を引き出せる最良の方法をとっていたのだと思います。
それから約2時間後…。
ミスケン100-95くまちょむ
ミスケンの逆転勝利となりました。僕はたまたま見ていなかったのですが、このとき多くの観戦者が、くまちょむの目に光る涙を見たといいます。
100本先取はとても重かった
このエピソードだけでも、かつては100本先取というものの意味がとても重かったことがわかると思います。公式大会と銘打つ大会は5年以上前に終わっており、当時はもちろん賞金なんてものもありません。
にも関わらず、たった一つの勲章「俺のほうが強い」を得るために、これほど重い戦いが行われていました。
時代背景
当時はネット対戦が無かったので、ぷよぷよをやるといえば、ゲーセンでやるか、誰かの家で家庭用ゲーム機でやるかしかありません。誰かの家に集まったときは100本200本と対戦することもあったのですが、そういう機会はネット対戦が盛んな今よりはるかに少なかったことでしょう。
ましてやそれをゲーセンという言わば本番環境でやるとなれば、他に集まったぷよぷよがお盛んな数十人のプレイヤーに「すまないが、今から2人で対戦台を占領する」とお願いしなければなりません。それが適う場というのは、なかなか簡単に用意できるものではありませんでした。
ぷよぷよというゲームの性質
今も昔も、ぷよぷよに100%の戦術はありません。実力が近い者同士だと、1つ1つの手筋が50%で有効なのか51%で有効なのかというきわどいところで戦っています。
そしてまた、ツモの組み合わせによって盤面に現れる形や戦況は、何百通り、何千通り…では数え切れないほどの多様性を持っています。2戦3戦程度では、たまたまどちらかのプレイヤーにとって有利な(=多く予習をし、研究をした)状況が連続してしまい、あっさりと決着が付いてしまいかねません。
ぷよぷよの世界とは、どれほど多くのあらゆる状況に対しても研究し尽くしたという、よりパーフェクトに近い人こそが「強者」とされる世界です。発売から25年以上経った今でも、その「パーフェクト」の片鱗すら見えてこない奥深さ。だからこそ、追究する価値があるのです。
ぷよぷよを知り尽くしたらどうなるかって? その時は、神の隣に座れる
と、誰かが言ったとか言わなかったとか。
残酷な100本先取
このような時代背景とぷよぷよというゲームの性質から、より強い者を決めるには100本先取くらいの試合数がちょうどいいだろう、というのが上位プレイヤーの間でのほぼ一致する見解でした。
100本先取というのは恐ろしいもので、もしそれに負けてしまった場合、「調子が悪かった」とか「運が悪かった」という言い訳ができません。「言い訳するなよ」と言われたから言い訳できないのではなく、言い訳できないほどの実力差があることを自分自身が悟ってしまうからです。
100本先取というのは誰かに強制されてやるものではありません。イベント主催者が期日を決めて開催するものでもありません。俺とお前、たった2人だけの合意のもとに、お互いにこれに負けたら自分の精神丸ごと敗北してしまうという十字架を背負って、「やる」と決めて戦うものです。
たとえ観客が1人も居なかったとしても、負けた側は敗北がその身に深く刻まれます。100本先取というのはとても残酷なのです。
時間の問題
ところが、100本先取をこなすには時間があまりにかかりすぎるという意見もたくさんありました。時間にすると3時間前後。その間、休む事もできずにぷよぷよをやり続けるというのは、もはやそれは肉体的な体力勝負になってしまっているのではないか? と疑問を呈する人が増えてきました。
現実的な問題として、試合前にトイレに行っておかないと大変なことになります。っていうか、あのときは80本超えたあたりでどうしても我慢できなくて試合を中断してしまってごめんなさい、さくおたさん。
とにかく、試合数が多いほど強弱の精度が高まる反面、肉体的な体力が無視できないほど影響してくるという問題があり、次第に100本先取は行われなくなりました。今では主に50本先取か30本先取が主流となっています。
ネット対戦時代と本数の問題
いつでもどこでもネット対戦ができる今の時代、100本であれ50本であれ、「今このときこそが雌雄を決する最高の舞台」というのがあまりなくなってきました。今日50本やっても100本やっても、じゃぁまた明日やろうねってことで、何度でもネット回線さえ繋げば対戦できます。
懐古主義に縛られていると「今の連戦には重さが無い」と感じるかもしれませんが、気軽にたくさんの連戦ができることもまた、昔には無かったメリットだと思います。
そもそも、公式大会やプロという称号が豊富にある現代に、「俺とお前のどっちが強いか、2人だけで決めよう」という修羅の戦いが本当に必要かどうかというと、意見はわかれるところだと思います。
公式の2本先取2セット先取
今公式のぷよカップなどで行われているのは基本的に2先2セットです。公式大会がエンターテイメントである以上、試合の「尺」の問題は軽視できません。でも、そのような短い本数だからといって実力が反映されにくいかというと、そうとも言い切れないと思います。
トーナメントになると微妙ですが、リーグ戦ではかなりの精度で実力が反映されていると感じられます。尺の問題も考えると、この2先2セットくらいが現状の最適解ではないでしょうか。
公式が何本先取であっても、普段のネット対戦が何本先取であっても、ぷよらーの奥底には「俺のほうが強い」という「強いんだ星人」の血が流れています。何本先取とかそういう本数に捉われなくても、その時代その時代に即した「この方法がお互い納得する方法」というものが自然とできあがってくるのではないでしょうか。
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